奈良県生駒郡都跡村尼ヶ辻で始まった奈良県の近代競馬は
尼ヶ辻競馬場では、その規模も小さく交通の便も良くない為
1939(昭14)年12月:平城村秋篠に競馬場施設を移し再開された
近鉄京都線平城駅を降りて北側、奈良競輪場と神功皇后陵に挟まれた平地に
走路:1,600m幅員:30m
スタンドの収容人数7千人という当時にしては立派な施設である
秋篠川沿いにホームストレッチがあり、平城駅駅前付近は3コーナーというおむすび型のコースには
多くの観客が集まった
1943(昭18)年:戦争の勃発により競馬開催は休止され競馬場倉庫は大阪軍管区師団が使用する
1946(昭21)年9月:戦時中、休止していた平城村秋篠で奈良競馬が再開される
1948(昭23)年7月:従来馬匹改良のため県馬匹連合会による競馬が行われてきたが
新競馬法の施行により民営奈良地方競馬を廃し、その運営は県に移された
1949(昭24)年1月:秋篠競馬場で第二回県営競馬が開催され、この回から1等1万円の景品付入場券が発行された
1950(昭25)年5月:競馬場の一角に県営競輪場もつくられ、第1回奈良競輪が開催された
その競輪が爆発的なブームとなり地方財政の資金源として欠かせないものとなる
影響で競馬のレースはいまひとつ盛り上がらなくなり
結局、奈良秋篠競馬場での県営競馬は8回しか開催されぬまま
1950(昭25)年:秋篠競馬場の運営を休止し
1954(昭29)年:廃場に至る
その跡地横の奈良競輪場では今でも多くのファンを集めている
奈良県生駒郡平城村秋篠
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